洋之介メモリアルカップ葉山2023

2019年10月11日

Photo by Kihei Iwamatsu

10月に入って、今年のメモリアルカップ開催はどうなるのだろうか?と思っていた矢先大型で強い勢力の台風19号が発生。実行委員で開催に向けての協議が行われることになった。進路は真っすぐ関東を向いており、週末にかけての様々なイベントが中止となる中、開催に見合った波が立つのか、また安全に大会を行うことが出来るのかが協議された。
安全管理を任されている以上、選手や大会関係者の安全が第一である。10月9日の時点で、メモリアルカップを行うには台風の接近が早く、コンテストのヒート時間を確保することが難しいこと。また上陸した際、葉山が危険半円(台風進路の右側)に入る可能性も高いことから選手の移動等もままならなくなることや運営スタッフの安全を考慮しコンテスト開催は断念することとした。しかし、確実にYONOPEAKにうねりが入ってくる。ならば、集まれるメンバーでセッションを行おうということになった。
PWCをどのように出艇させるのか。ドライバー・レスキュアーを誰が行うのか。サーファー達がワクワクと波を待つ間に準備しなければならないことがたくさんあった。PWCはドライバー・レスキュアーだけでなく陸上を運搬したり、特にこのようなコンディションの時は、ビーチサイドでの上げ下しにマンパワーが必要になる。勿論ハードなコンディションで使用する際のエンジンが良好な状態であることを確認することも非常に重要である。
11日早朝、まださほどうねりは上がっていないが予定通りPWCとカメラマンがスタンバイする。陸上とのやりとりはトランシーバーを使う。YONOPEAKにチャレンジするサーファーたちが準備をしている間、レスキューチーム内では、どの位置でサーファーを監視するのか、サーファーが自力でパドル出来ないほど疲労または、怪我をしてしまった場合にどこから陸上にあげるのが最適なのかを操船しながらチェックする。
当日のうねりは南寄りでYONOPEAKよりヒデキ側のほうのうねりが大きく感じられた。アウトサイドからだとテイクオフしたサーファーを監視することが出来ないので、シロ島とピークの間でスタンバイすることがだいたい決まった。スタンバイしている場所で波がブレイクすることは無いのだが、うねりによって水深が浅くなるとPWCでも船底を擦ってしまうような暗岩がゴロゴロしているため細心の注意を払う。では、陸上に上がる為にはどうするか。大浜にももちろん波は入っていて、ドン深の為、ショアブレイクもそこそこある。安全の為、長者ヶ崎海岸側での乗り降りをすることに決め、さらにうねりがきつくなったら多少時間がかかっても一色海岸防波堤へ回り込むことも申し合わせた。PWCが2艇で監視に当たるのは、万が一のエンジントラブルなどの際、お互いをフォローする意味もありチームワークは非常に重要となる。宮崎・堀江ペアと田村・加藤ペアお互いの位置を確認し合いながら、待っていると、「準備できたよー」の一報がトランシーバーから聞こえた。長者ヶ崎防波堤内側からYONOPEAKまで、PWCの後ろに取り付けてあるレスキュースレッドにサーフボードに乗ったままサーファー達に掴まってもらいポイントまで。PWCだとものの数分で到着する。サーファー達の期待に満ちた笑顔にこちらもワクワクが止まらない。
サーファー達が波を待っている姿を、陸上のカメラマンの邪魔にならないよう我々は100mほど離れた場所で監視する。それでも特等席である。最初の波は、竜くんが乗る。自然と“おー”っと声が出てしまう。見とれてしまうのだがふと我に返り、一艇のペアがライディング中のサーファーを、もう一艇が沖で波待ちをしているサーファーを監視する。そもそも、このポイントでサーフィンを楽しめるメンバーは並外れた身体能力を持っているわけだが気を抜くわけにはいかない。その後も魅了するライディングが続く。そんな中、私たちは、万が一、今何かが起きたらどのコースでレスキューに行くのか、小磯の岩ギリギリのどこまでPWCで入っていくことが出来るのかをイメージしている。といってもやはり素晴らしいメンバーのライディングを特等席で見られることは最高である。あっという間に2時間程度過ぎてしまう。雨が激しさを増して、サーファー達が一時休憩をしている間、PWCの上でおにぎりをほおばる。そんな待機中はちょっと過酷だったりするわけである。
後半は、カメラマンの柾織くんを乗せて、一艇が撮影艇。もう一艇が監視にあたることとなった。撮影艇は更に特等席。サーファーに声が届くくらいまで接近する。狭いPWCの上では、正夫くんの邪魔にならないように注意をしながら操船する。そんな中1人のサーファーが波に巻かれてしまった。緊張感が走る。宮崎艇がすぐさまサーファーの近くに接近するが、1回目のアプローチではスレッドを掴めなかった。ギリギリまで耐えるが、そのままそこに居てはPWCごと波に巻かれてしまうので一度沖へ出る。再度アプローチ。今度はサーファーが上手くスレッドを掴んだ。ほっとした空気と、サーファーの「ありがとー」の声。助けられるサーファーもレスキューの事を熟知していてくれるのは本当にありがたい。洋之介メモリアルカップでは、サーファーがレスキューのトレーニングにも参加しているから相互の理解が深まりより安全に大会を行うことが出来るわけである。15時も過ぎて本日のセッションは終了。YONOPEAKから森戸海岸まで15分少し。朝よりだいぶうねりが大きくなり名島周辺も普段では見ることのない風景となっていた。普段だと絶対に波の無い森戸海岸にも波が入り、満潮と重なっていたためPWCを上げるのに一苦労。サーファー泰介や成田さん、カメラマン柾織くんの力も借りてどうにか上げることが出来た。
まだまだ課題も多いが経験を積んでもっと安心感を与えられるレスキュアーでありたいと強く思った。そして、やっぱりサーフィンは最高である。

葉山ライフセービングクラブ 加藤智美