洋之介メモリアルカップ葉山

佐久間 洋之介

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佐久間洋之介というサーファーがいた。2006年1月2日、葉山の海で逝った。(享年25歳) あまりにも若すぎる死を多くの仲間が悲しみに沈んだ。

洋之介が日本のビッグウェイバーの一人として認められたのは、2001年ハワイのオアフ島のワイメアベイの巨大な波へのドロップだった。湘南・葉山から世界に飛び出した佐久間洋之介はまたたく間に日本を代表するビッグ・ウェーバーとなり、海外のサーフィン雑誌の表紙を飾るまでに成長した。 葉山の海で小さい頃から海の薫陶を受けた洋之介は、葉山の海から発信するカルチャーを牽引する一人としてよく知られた存在だった。サーフィンはもとより、素潜り、フィッシング、キャンプ、カヤック、ジェットスキー、アウトリガー、映像、写真、彼の興味はスターナビゲーションという伝統航海術にまで及んでいた。 洋之介が海や自然に親しむきっかけは、一軒の葉山の海沿いに父が建てた小さな小屋だった。まだ歩くこともままならない頃から砂浜に転がされていた。 山ではキャンプで「火の付け方」「ナイフの使い方」「飯ごうの炊き方」などを教わった。海では「素潜り」「釣り」「ジェットスキー」「海の知識」「天候の知識」などを教わり、後は自由に自然を堪能していた。14歳で本格的にサーフィンを覚えた洋之介は、すぐにプロを目指した。中学という義務教育もさぼりがちだったが、サーフィンに対しては常に真剣だった。

なぜなら、海のリスクが解るからだ。「恐怖心」「海の力強さ」「波に乗る気持ち良さ」が融合するサーフィン。 海は洋之介にとって最良の教科書であり、学校だった。

生前彼が口にしていたことは
「海が凄い汚れている」
「海の良さを次世代に伝えていきたい」
「海の学校を作りたい」
海外生活が長い中、様々な海を見て体験してきた彼は、海で吸収してきたことを還元したいと考えていた。

 

15歳 単身、世界の海へ飛び出して行った。
16歳 サ-フィンのコンテストを転戦するようになる。
18歳 ビデオカメラを購入し映像の楽しさを知る。
20歳 サーフィン雑誌の表紙を飾る衝撃的なデビューを果たした。
21歳 ハワイの大波にのまれて気絶し、死ぬ寸前の体験をした。
23歳 再度サーフィン雑誌の表紙になり日本一のビックウェーバーになる。
そして海外のプロサーファーからも注目されるようになる。
24歳 今まで撮ってきた映像で自らプロディースし、サーフDVDの「Dancing on the what」を制作。